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​疑問はそこに置いていった

 煤を無理矢理張り付けられたかのように、薄暗い雲で空一面おおわれていた。
 その雲から、氷より温かく水よりも冷たい霙が落ちてくる。
 落ちてきた霙は下へ下へと落ち、やがて、ロバート・ハンソンの衣服に当たり、じんわりと布地に吸い込まれていった。

生き方と死に方はよくにている。

 例えば、人を殺して生きてきた人間は誰かに殺されて死ぬし、食べることが好きで暴飲暴食に勤しむものは、糖尿病となり、不快なほど甘い香りを漂わせながら死んでいく。

 自分達の生きてきた道が、そのまま終着点になる。
 ロバートはそのことに、数年前から気がついていた。しかし、気がついていながらもそこに何かしらの感情や思いを馳せることは、今までなかった。そして、これからもないだろうと無意識下でも思っていた。

 しかし、今、まさにそのことについて疑問と焦燥のような感情が体内で暴れまわっている。


 男の亡骸が、眼前に転がっている。ただそれだけだ。

 この街はそれなりに職と家を失ったものが存在する。そして、この街の冬はとても冷たい。休む場所も暖まる場所も確保できず、冷たさに耐えかね死ぬものは、もはやロバートにとっては日常茶飯事のもののはずだったといえる。

 それがどうしてか気になった。理由はなにか。死体が見知った人物であったからだろうか。それとも、その死に方が、寒さのせいではないからだろうか。

 つい数日まで、疲れた笑みを浮かべて教会にきては、祈りを捧げていく男であった。

 

あまり話をしたことはないが、穏やかで優しい声色をしていたと思う。


 人がよすぎたためか誰かの借金の肩代わりをしてしまい、路頭に迷ってしまったのだということも知っていた。


 その男が今はどうだろう。ぼろぼろの衣服と手入れがされていない伸ばしっぱなしの髪と髭は、赤い水に浸されて重たそうに見えた。
 瞳は恐怖の色が残ったまま、見開いた状態で固まっていた。
 赤い水は男の腹からでているように見えた。

 男は誰かに殺された。では、この男は誰かに殺されて死ぬような生き方をしていたのだろうか。
 もし、殺されることが当たり前の生き方をしていない人間だったら、なぜ、彼は殺されることになったのか。


 疑問ばかりが、そこに募る。心臓が早鐘をうっているかのようにせわしなく動く。感情が、渦を巻いては体内に滞り、喉元まで一杯になった。

「ロバートさん、一服、どうですか?」

 その思考を、疑問を、心臓の鼓動をすべて打ち消したのは、差し出された一つのタバコと、先程まで後ろでなにかしていたらしいアーネストの声だった。

「……妹にはこのこと、黙っていてくれないか」

 空と同じ色をした煙を、口内から吐き出しながら、ロバートはアーネストに頼んでいた。
 その言葉に「わかってますって」といいながら、いつも通りの苦笑いが帰って来た。

 タバコはいい。血管が拡張された感覚は集まっていた熱を拡散してくれるし、口腔から煙を吐き出す行動が、どことなく感情を言葉以外のもので吐き出していると錯覚できるからだ。
 タバコが嗜好品として売れているのはそういうことだろう。

 もっとも、これもドラッグの一つと考えるとあまり吸いたくないと思ってしまうが。


「で、何を考えていたんです? 急に死体をにらみだした時はびっくりしましたよ」


 となりで、なにかしら作業をしながら、アーネストはロバートに訪ねてきた。 この男は、言葉でも吐き出させようとするか。
 つくづく、このアーネストという男は、人の感情や思考を言語化させたがる癖があった。脳内で起こった出来事を誰かに聞いてもらうこと、自分の考えを語ることは頭がすっきりして楽になれるから、と。
 たしかにこの男の言い分は一理あった。そして、こうして話をさせようとするお陰で助かったものが多くあった。今の仕事でトラブルが減ったのも、妹や両親、自分ではないものに対し、以前より耳を傾けることも、傾けられることも増えたように思う。
 そのことを知っているロバートは、数分ほど、いまだに横たわっている亡骸をみつめたあと、冷えて動きにくくなった唇を、ゆっくりと動かした。

「……この男は、よく教会でみかけた男だった」
「……へえ」
「疲れているせいか、あまり快活なところはみたことがなかったが、よく笑う男だった。教会にくる他の人ともそつなく話をし、来たときは必ず、親父や俺に挨拶をして礼拝堂に入るんだ。俺がそこで見た限りでは、誰かの恨みを買って死ぬようなものではないと、こんなところで死ぬようなやつではない。そう思っていたんだ」
「……」
「生き方と死に方はにている。しかし、この男はどうしてこんな死に方をしたのだろうか。俺が知る限りではわからない」

 二人の間に沈黙が落ち、冷たい風が通り過ぎていった。

 手に持っていたタバコはもう、指先まで焼け落ちている。こんなものを吸ったところで特有の苦味と、甘味は口内に広がらないだろう。煙も肺まではとどかず、上にのぼるくらいがせいぜい関の山だ。ポケットに収まっていた吸い殻ケースをとりだし、降ってくる霙にタバコをあてながら、ロバートは吸い殻をケースにしまいこんだ。

「……まあ、俺もつい最近まで祖母ががんで苦しまずに死んだのは、日頃の行いがよかったからとか思ってたくらいだし。きっと、見えないところに何があったのかって疑問を考えても、わかりっこしませんよ。人がみている範囲って結構狭いですし。見えた時に何を思うか。それだけで十分でしょ?」

 眉を下げ、難しい顔をしながら、アーネストは沈黙を破っていった。

 自分の範囲の外にあるものを考えたところで、その答えは正解ではない。間違っている可能性がある。
 そんな、正解か不正解かすら判断できないものを考えたところでどうだというのだろう。そう、アーネストはいっているのだ。ロバートも言いたいことは理解できていた。

 そして、自分が知っている範囲、みている範囲で判断できることはなにか。
 明日から、教会であうと必ず挨拶をしにくる男は、もう一生、挨拶をしてくることも教会にくることもない。

 それだけがわかっていた。


「帰るか」


 アーネストに一言そういって、視線を死体からはずす。
 降ってくる霙は勢いをまし、ロバートとアーネストの足音を消し去り、
 あとは冷たい死体だけが取り残された。

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