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イアンの暴走

※安楽死に関する記述がありますが、不謹慎な内容となっています。

「俺はすごい発明をしてしまった」

 

 ただでさえいつも鳥の巣のようにぼさぼさの短いイアンの髪は爆発してえらいことになっている。目の下の隈もはっきりとアイペイントのようになっており、瞳には、怪しい光が灯っていた。
 寝不足のイアンに付き合ってはならない。ロバートから言い聞かされていた言葉だ。寝不足になると頭のネジが飛んでいって、奇妙な行動に出る、と。
 その言葉に好奇心はあったものの普段のイアンですら不気味なところがあったため、あまり近づこうとしなかったアーネストは、その寝不足の状態のイアンをお目にかかることはなかった。そして、とうとうお目にかかる日が来てしまった。

 

「え、ええっと。何を発明したんです?」

 

待っていましたと言わんばかりに、イアンが眼鏡をくいっと持ち上げる。よく見ると眼鏡のレンズにはヒビが入っていた。

 

「安楽な死を迎えたいと思ったことはある?」
「ええ……。一体なんですか急に」
「がんの患者を救うことはできんかずっと考えとった。手術を受けたら助かる。けど手術ができん人もいる」
「あー。そうですね。俺のばあちゃんも末期がんで手術受けられなかったですね」
「手術や治療が受けられんとなると、余命が気になると思わん?」
「確かに。それは気になりますね」
「ただがんの痛みに耐えかねて、余命よりも早く死にたい人もいるかもしれんよな」
「うちのばあちゃんが、まさしくそれですね」
「俺はずっと考えとった。痛みで発狂することなく、人間の尊厳を保ったまま、安らかな死が迎えられる方法がないんかなあって」
「うちのばあちゃんみたいな死にか方は、確かに理想だって思いますよ」
「と、いう訳で末期がんの患者のためにがんのせいで起こる痛みがあると、即刻筋弛緩剤が注入されて息を引き取るという装置をつくりました! 俺天才!」
「待って待ってちょっと最後おかしくないです?」

 

 途中までは、共感できる内容であった。がんの痛みは相当なものらしくできれば自分も痛みで発狂するような目にはあいたくないし、植物人間になって人に迷惑もかけたくない。認知症で所構わず粗相をするようにもなりたくない。知性を保った状態で、眠るように死ねたら、どんなにいいだろうかと思う。そして、実際にアーネストは、自分の祖母がそれを希望し、幸せな最期を迎えることができたのも見てしまっている。多くの人間が幸福のまま永眠できればいいと、確かに思う。

 

 しかし、彼が発明したという装置は、ちょっとどころかかなりおかしくないだろうか。痛みが少しでもあると筋弛緩剤が打たれて死ぬ? せめてそこは痛み止を注入できる装置の方がいいのではないか?

 

「できれば、筋弛緩剤とか生温いもんやなくて、打ち込んだ瞬間体機能が全部停止してあっという間に死んでしまう薬が一番いいと思ったんやけどな。生憎そういう薬はまだ開発されとらんみたいで」
「いややめてくださいよ。ちょっとでも痛っ、って思った瞬間にグッナイとか。別れを惜しむ暇すらないじゃないですか」
「装置つける前に別をすませとけば問題ない?」
「あー。それは確かに。……いやいや本当におかしいですから。というかそもそも不謹慎すぎません? そんなものつくるとか頭どうかしてます?」
「そうやなあ。多分それは寝不足やからやな!」

 とてもいい笑顔で親指をつきたててくるイアンに、アーネストはため息が出た。そうだった。いまこの人頭がおかしいんだった。
「というわけで、いまから実験に付き合ってくれる人を探してくるわ」
「あー。とても素晴らしい発明品で驚きました! もうほんと、涙が出ちゃう。そのご立派な奉仕の精神で一体何をする気ですか? さすがに知り合いが殺人犯で新聞に載るのは困ります!」

 

 ふらふらとした足取りで前に進もうとするイアンを止めるべく、アーネストは必死にしがみついた。誰か助けてと大声で叫び、たまたま通りかかった医学部の人間が、その姿をみて、渋い顔をする。
 しかし、この光景に慣れているらしい。医学部の学生が誰かに電話したかと思うと、どこからか小さく風を切る音が聞こえてきて、イアンの肩に注射器のような物がつきささっていた。

 

「あ」

 

 一言言葉を発した途端。イアンの体から一気に力がぬけた。急に支える力が無くなった体に押され、アーネストは倒れそうになる。が、なんとか持ちこたえた。 その間に医学生が集まってきていた、ことの顛末をアーネストが話すと、その場にいた全員がため息をつく。

 

「少しでも寝不足だと関知したら、速効性の麻酔が打たれる装置でも作るか」

 

 ぶつくさと文句をいいながら、集まってきたイアンと装置を回収していった。
 寝不足のイアンに付き合ってはならない。ロバートの言っていたことが漸くわかり、これからは寝不足の彼を見なくてすむように行動してほしいと願いながら、アーネストはその場をあとにした。

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