アーネストとニコル
雑然とした街中を、ある男性と女性が身を寄せあうようにして、歩いているところを、アーネストは彼らの後方から見ていた。
男性の方は整えられたくすんだ色の金髪で、のりのよく聞いた皺一つない服にきちんと磨かれた靴をはいていた。一方、女性の方は真っ黒にもかかわらず、柔らかそうに見える髪を肩まで伸ばし、最近の流行よりも清楚さを前面に押し出したかのような服を着て、形のいいシルエットだけを浮かび上がらせるように、足元は黒いタイツをはいている。
そして、男性は女性の腰を自分の方へよせ、女性は自身の体重を男性の方に少しだけあずけ、ゆっくりと人の邪魔にならないよう気を配りながら歩いていた。
その姿はまるで、恋人とともに歩いているような姿だった。
恋人とともに出かけ、デートを楽しんでいるような二人。
その二人は、アーネストの知り合いで、男性の方はトニー、女性の方はニコラという名前だった。
だからこそ、二人が仲睦まじく歩いている姿が、少し、意外だった。
「あっ。アーネストじゃない?偶然ねぇ。お買い物中?」
ふと、ニコラが振り向き、こちらに視線を向けてくると、トニーの腕を引っ張りながら、こちらに近づいてきた。
「ああ、ニコラさん。そんなところですね。……あの、そっちは?」
「今から仕事にいく所よ。トニーも仕事なの。だから途中まで行こうかしらって話しをしてたのよ」
ねーとトニーににこやかな笑顔を向けて答えると、それにつられて、トニーの顔も綻んだ。
「そうなんだアーネスト。彼女と少しでも長く話しをしていたくてね。今から仕事へいくことが億劫になりそうだよ」
なんとなく、気障な感じがする紳士っぽい台詞を聞き、アーネストは二人を見かけた時から、アーネストのことをよく知っている人がみたら微妙と言いたいことがわかる表情が、さらに誰もがみてもわかるようになっていた。
どうしよう。この二人のやりとりに、違和感がないことが違和感だと言ったら、二人は怒るだろうか。
「もう時間になる。行かなくちゃ」
「そうね。あ、そうそう。アーネスト、今日の夕方の約束、忘れないでよね!」
そうして、二人は、状況がのみこめていないアーネストを置き去りにして去っていった。
「遅い。待ちくたびれたぞ」
夕方、ニコラが約束を忘れるなと釘をさしていたので、きちんと言われた通りの時刻と場所に、アーネストはやってきて早々、ニコラスに怒られた。
緑色の瞳と顔の肌以外は闇に溶け込みやすくするためか、服も髪も全て真っ黒に染め上げた人物、それがニコラスだった。
「ほら、さっさといくぞ。お前も見つかったら追われる身になるんだから」
アーネストが乗ってきた車の後部座席に乗り込み、ニコラスはふう、とひとつ息を吐き出した。
アーネストは黙ってニコラスのいうことに従い、車をゆっくりと発進させる。誰にも不審がられないよう、普段通り、いつもこの道を通っている人物になりすますのは、何度もやっているが未だになれない。
一応この道、両親に運転してもらわないとどこにも行けないくらい小さな頃から通ってる道のはずなんだけどな。そう思うが、状況が状況だけに普段通りに振る舞えているか不安で仕方がなかった。
「そういえば、あのときトニーさんと一緒にいましたけど、何だったんです?」
気を紛らわせるために、気になっていたことを聞いた。
ニコラという女性は、ニコラスの変装であった。いや、ニコラスという人物も、この人の変装でできた人物にすぎない。
この人物の本当の名はニコル・ゲーサ。そして、昼頃出会った優しく明るい女性のふりをしている時はニコラと名乗り、つい先ほど、殺し屋として仕事をしている時はニコラスと名乗っている。
要は同一人物だ。一人が二人の役を演じている。いや、もしかしたらそれ以上かもしれない。状況に合わせて動いているだけなのかも。
「ああ、あれか。いった通り仕事にいく途中だったんだよ。ただ、あいつの会社、今どこかわからない組織に狙われてて、探られてるみたいだったから、超普通の仲のいいカップルのふりしようってなってな。それでニコラで出かけてただけ」
今まで撫で付けていた髪をぐしゃぐしゃとときながら、ニコルはアーネストの問いに答えた。
トニーは、どうやら民間のスパイ組織で仕事をしているらしい。表向きには製薬会社での営業として働いている。昼にみたのはその、表向きの部分を誰かに見せる目的があったのだとか。
確かに、だとしたらニコラの方が適任かもしれない。ニコルにとって、表向きの部分はニコラの方だ。黒髪を撫で付け、いやらしい笑みを浮かべるニコラスは向いていない。素の部分であったとしても、本性を隠しておきたいニコルからしたら、さらに向いてないとも思う。
おしゃれなカフェに通う、明るく活発な女性。好きなものはイチゴのアイスクリームで、恋人であるトニーとの出会いは仕事中、モーニングを食べにきたトニーに一目惚れをしたところから。そんなことを聞けば確かに、ニコラという女性は普通であり、どこにでもいそうな感じに思えてしまう。
実際は全然違うのだけど、今はそこは重要な部分ではないため、思い返す必要はないだろうと、アーネストは判断した。とにかく、トニーもニコルも表向きの顔でいないといけない理由があった。それだけの話だ。
ただ、それを知っていたとしても、ニコルやニコラスでいる状態での、トニーとのやりとりを聞いている方が多いアーネストからしたら、違和感しかなかったのだ。
だって、普段の二人はああやって、恋人のように甘い雰囲気を周囲に撒き散らさない。
どちらかというと、ドライな感じが強かった。というか、険悪な仲のことが多かった。ビジネスパートナーとしてはいいが、プライベートでは、まったく会いたくない存在。お互いがそう思っているだろうと思い込んでいたため、今日の出来事は唖然としたのだ。
そして、なんだかあのやり取りをしていた二人があまりにも白々しく見えた。
「あんなにお似合いのようで茶番を繰り広げてる人たち、見たことないですよ」
車と人が多くなった道路に、車を走らせながら、アーネストは呟いた。
そうだろ。と、返ってきたのは、薄ら寒い笑い声だった。